年表

青色の文字は三嶋暦関係

時代 西暦 年号 歴史事項 関連事項
西暦 歴史事項
古墳 240

400
自然暦 水稲栽培のはじめと終わりを限り
として、漠然と1年という年を意識していた
ほかに花、動物、植物、残雪などを目安にす
553 欽明14 百済に暦博士・暦本を求める 538 仏教が伝わる
554 欽明15 百済の暦博士固徳王保孫が暦法をもたらす 593 聖徳太子、摂政となる
604 推古12 初めて元嘉暦を用いる
飛鳥 645 大化1 初めて年号を大化と号す
660 斉明6 中大兄皇子、初めて漏刻をつくる 645 大化の改新が始まる
689 持統3 現存する最古の元嘉暦がつくられる 672 壬申の乱
690 持統4 元嘉暦と儀鳳暦を併用する 681 駿河国より伊豆国を分ける
697 文武1 元嘉暦を廃し儀鳳暦を用いる
702 大宝2 大宝律令を頌布し陰陽、天文、暦の博士をおく
奈良 710 和銅3 陰陽寮 年ごとに暦を作成する
729 天平元 現存する最古の具注暦がつくられる 710 都を奈良に定める(平城京)
746 天平18 紙に書かれた現存最古の具注暦(正倉院蔵) 741 聖武天皇、諸国に国分寺・
国分尼寺を建立のお言葉
763 天平宝字7 儀鳳暦を廃し大衍暦を用いる
770 宝亀1 河合家家伝によると山城国加茂より下向
779 宝亀10 三嶋暦師の河合家が三島に移り住む
780 宝亀11 遣唐使 羽栗翼、宝応五紀暦を献上する
784 延暦3 11月1日、初めて朔日冬至の賀をおこなう
平安 807 大同2 暦注を禁止する 794 都を京都に定める(平安京)
856 斉衝2 大衍暦と五紀暦を併用する 802 富士山が噴火する
859 貞観1 渤海国使孝慎、宣明暦を献上する
この頃より河合家で三嶋暦を作り始める
836 伊豆国の国分尼寺焼失す
861 貞観3 大衍暦を廃し宣明暦を用いる(1685年まで) 894 遣唐使を廃止する
870 貞観12 三嶋暦を朝廷に献上する
900 昌泰3 文章博士三善清行明年辛酉革命の儀をあげる
927 延長5 延喜式五紀暦に官暦製造上の細則を集成す
977 貞元2 賀茂保憲 息子の光栄に暦学を、
弟子の安部晴明に天文学を伝授する
1048 永承3 大宰府、宗暦と新羅暦を献上する 1156 保元の乱
1010 寛弘7 暦道が衰退し宿曜道が独自の暦算をおこなう 1159 平治の乱
1164 長寛2 暦道、宿曜道の間で日食を論ずる 1160 源頼朝が蛭ヶ小島に流さる
鎌倉 1317 正和6 三嶋暦ではないかと言われる現存する最古の
版暦がつくられる
1333 鎌倉幕府が滅びる
室町 1345 興国6 三嶋暦と想定される仮名版暦がつくられる
(栃木県真岡市の荘厳寺所蔵)
1374 応安7 空華日工集に三嶋暦の記述(日付けの相違)
京暦は3/4三嶋暦3/3、三嶋は独自に編纂か
1437 永享9 現存最古の三島暦がつくられる(足利文庫蔵) 1467 応仁の乱
1532 元文1 この年より1657(明暦3)まで毎年11月
三嶋新暦を朝廷に献上(河合左近将監)
1491 北条早雲が伊豆を支配する
1554 天文23 北条氏康より暦領行の許可(河合左近将監)
1563 永禄6 大阪暦と丹生暦が相違し大阪暦が禁止される 1573 室町幕府が滅びる
安土
桃山
1582 天正10 三嶋暦と大宮暦の間に暦日の相違があり
大宮暦は停止になる
陰陽頭土御門が全国の陰陽師を従えていた
織田信長は武家社会では三嶋暦で統一と
改正を主張する
1585 天正13 日本耶蘇会がユリウス暦を廃し
グレゴリオ暦を採用する
1585 豊臣秀吉が関白となる
江戸 1659 万治3 この年まで26年間の三島暦師は河合圓節 1639 鎖国令がでる
1604 慶長9 大宮暦師が三嶋暦を真似、遠島に処される
1617 元和3 2代将軍秀忠が京暦を三嶋暦に1日のずれ
幕府は三嶋暦、朝廷は京暦
1684 貞享1 幕府により改暦と頌暦の統制と内容の統一
幕府天文方の創設により暦師から頌暦だけ
に携わることになる
1685 貞享2 渋川春海の大和暦を採用し貞享暦と命名する
1686 貞享3 この年まで三嶋暦師は河合龍節
1687 貞享4 この年より元禄6年まで三嶋暦師は河合玄節 1687 徳川綱吉、生類憐れみの令
1700 元禄13 この頃から大小暦がつくられる
1701 元禄14 この年より享保16年まで三嶋暦師は河合元節
1718 享保3 幕府が暦本の私製版を発行することを禁じる 1716 享保の改革(徳川吉宗)
1732 享保17 この年より元文3年まで三嶋暦師は河合元隆
1739 元文4 この年より宝暦9年まで三嶋暦師は河合龍節
伊勢暦を伊豆、相模で販売したため中止の
訴えを山田奉行所にだす
1754 宝暦4 宝暦甲戌元暦を頌行する
1755 宝暦5 この年より翌6年まで三嶋暦師は河合甫三 1759 三島代官所が廃止され
韮山の江川代官所の
支配に入る
1765 明和2 大小暦の会が開かれ大小暦が流行する 1761 白隠禅師、龍澤寺をひらく
1766 明和3 病気の龍節に代わって三嶋暦師は土屋甫三
1767 明和4 龍節が亡くなったため甥の河合権七が継ぐ
1768 明和5 寛政12年まで三嶋暦師は河合龍節
(権七改名)
1788 天明8 オランダ人から永続暦(太陽暦本)が献上
1797 寛政9 寛政戊午暦が頌行される
1801 享和元 この年より文化7年まで三嶋暦師は河合龍節 1800 秋山富南、豆州志稿を編纂
1811 文化8 文化11年まで病気の龍節に代わり土屋祐甫
1815 文化12 文化13年まで病気の裕甫に代わり土屋甫三
1817 文化14 この年より文政3年まで三嶋暦師は土屋甫三
1821 文政4 この年より嘉永5年まで三嶋暦師は河合龍節
1842 天保13 天保壬寅暦を頌行する
1853 嘉永6 明治8年まで三嶋暦師は4河合龍節 1854 安政の大地震がおこる
1855 安政2 三嶋暦師・河合家の建物が再建される 1860 桜田門外の変
明治 1868 明治元 この年より明治4年まで三嶋弘暦者は河合博 1868 明治維新(江戸を東京に)
1870 明治3 天文暦道局を大学内において頌暦をおこなう 1871 廃藩置県
1872 明治5 3月頌暦商社を設立
河合家が政府から承認される 販売範囲は
伊豆、相模、駿河、甲斐、安房

11月9日改暦の発表
グレゴリオ暦とし昼夜各12時間の
新時刻法にする
11月15日神武天皇即位紀元(皇紀)の制定
1873 明治6 1月1日(旧暦12月3日)よりグレゴリオ暦実施
1876 明治9 この年より明治14年まで三嶋弘暦者は
河合龍節(河合真一改)
1877 西南の役
1882 明治15 神宮司庁が頌暦権を収得する
河合家は河合龍節で廃業となる
1885 明治18 すべての暦本は伊勢神宮が直接頌布となる 1889 明治憲法発布
東海道本線全線開通
昭和 1946 昭和21 すべての暦が自由化される 1946 日本国憲法公布
1973 昭和48 太陽暦に改暦されて100年となる 1972 沖縄の返還
日中国交正常化
第1次石油ショック


参考: 三島アメニティ大百科
三島暦と日本の地方暦 


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