三四呂人形(みよろにんぎょう)


三四呂人形は、三島出身の人形作家である野口三四郎が創作した人形です。和紙を重ね貼りしてできている三四呂人形の淡い色彩とあたたかみのある素朴な姿が、愛らしい童話の世界を作りだしています。作品は紙と糊でできているため、現存する作品は数少なくなってしまいました。現在確認されているものは100点ほどで、市内に残る24点は三島市文化財として指定されています。フランスやベルギーなど海外でも高く評価されています。

三四呂人形の写真

水辺興談(複製)
(すいへんきょうだん


野口三四郎の代表作です。いままで清流で泳いできたばかりの二人のこどもが、捕まえた魚を手にして自慢話をしているのでしょうか。その話し声が聞こえてきそうです。
この作品は人形芸術院賞に輝きました。


野口三四郎(のぐちさんしろう)

三島市大中島(現、本町)出身の人形作家。
明治34年(1901)に生まれたため三四郎の名がつきました。旧制韮山中学(現、韮山高校)を中退後写真家をめざし、昭和3年(1928)東京三越の早撮り写真家となり東京に移り住みました。翌年、朝鮮京城博覧会に派遣されたことが人形作家となる大きな転機になったようです。帰国後、三四郎は張子人形と出会うことにより、人形制作に没頭しました。
昭和9年(1934)に妻のしげを、翌年には娘の桃里を3歳で亡くしました。三四郎は悲しみの中でますます人形制作に没頭しました。昭和11年(1936)に第1回総合人形芸術展に出品した「水辺興談」が最高の人形芸術院賞に輝きました。しかし、この直後に結核を患い、三島に帰って療養しましたが、翌年の12年(1937)に37歳で世を去りました。     
                                              

参考: 三島アメニティ大百科

三四呂人形の写真 左は「人形抱き」という作品(複製)です。



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