三嶋暦(みしまごよみ)


三嶋暦と版木、茶碗の写真 写真説明図


太陰太陽暦(旧暦)を代表する暦のなかに「三嶋暦(みしまごよみ)」があります。
静岡県三島市の三嶋大社の社家(しゃけ・三嶋大社の神職に従事する人々、またその住まい)である、暦師の河合家で代々発行されてきました。河合家の記録によると、770〜780年(奈良時代)ごろに山城の国(現、京都府)賀茂から三島に移り住んだとありますが、確かなことはわかりません。

現存する最古の「三嶋暦」は、栃木県足利市の足利文庫にある「周易(しゅうえき)古写本」の表紙裏から見つかった永享(えいきょう)9年(1437)のものです。この「周易古写本」は全5冊あり、そのうちの4冊に、本を補強するためと思われる裏貼りとして利用されていました。したがって、綴り暦がそのまま残っていたわけではありませんが、暦首部分が貼られていた1冊に、発行場所である「三嶋」の文字があったため「三嶋暦」だということがわかりました。現存最古の三嶋暦がこのような形で残されていたのは、たとえ補強用とはいえ大変貴重なものです。このほか、神奈川県横浜市の金沢文庫にある文保(ぶんぽう)元年(1317)のもの、栃木県真岡市の荘厳寺にある庚永(こうえい)4年(1345)のものも「三嶋暦」であろうといわれています。

「三嶋暦」は、仮名文字の暦として日本で一番古いこと、木版刷りの品質が良く、細字の文字模様がたいへん美しいことなどから、旅のみやげやお歳暮などとして人気がありました。価格は慶応4年で、綴り暦(16ページ)が150文(今の価格で3,000円くらい)、一枚ものが15文(今の価格で300円くらい)でした。

江戸時代初期には、遠江、駿河、伊豆(現、静岡県)、相模(現、神奈川県)、甲斐(現、山梨県)、武蔵(現、埼玉、東京、神奈川県の一部)、安房(現、千葉県の一部)、信濃(現、長野県)までもの広範囲で使われ、幕府の正式な暦ともなっていましたが、元文4年(1739)に伊勢暦との兼ね合いで伊豆と相模だけに限定されてしまいました。

江戸末期の暦の発行部数は全国で450万〜500万部くらいだったようです。残念ながら三嶋暦の発行部数は記録が残っていないためわかりません。当時の日本の人口は約2,800万人でした。

参考: 三嶋暦を読む



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